第223回
「不気味の谷ってどんな谷?」
不気味とは、何となく不安、なんとなく怖いといった感情です。
動物、とくに人は奇妙さを感じた時不気味さを覚える。違和感、異物感、不信感、畏怖感、恐怖までいかない何とも言えない、あの感じです。
「不気味の谷」とは、1970年に工学者の教授によるエッセイのタイトルです。
ロボット工学の世界で人類に近づけようとしている時に減少していく親和感がまた上昇するという仮説を表す用語で、以来この言葉は巷でも知られるようになりました。
この用語を知った時、技術だけでなく日常で感じる事にも通じると思いました。
というのは、考えても仕方のない事に不安や怯えを感じたり、調べたり確かめもせず不信感を募らせたりと、とかく人間は面倒くさい生き物です。
これまでは「お化けは出会ったら驚け」と臆病な自分を鼓舞して生きてきましたが「不気味の谷」は、これまで感じてきたあの感情を表すのに丁度いい気がしたのです。
仕事でも生活でも変な違和感を感じる事はありませんか?そんな時には無視せずに「あれ?これは不気味の谷へ降りてる?」と気が付くようにすればいいのではないでしょうか?このままでは谷底に落ちる。落ちる前に原因を解決しようと考えるのです。
例えば、会社でありがちなのが、時代錯誤で現状維持という不気味の谷。
家庭でありがちなのが、意志疎通による不協和音という不気味の谷。
このような、より早く対応したほうが良いものを感じた時に「不気味の谷に降りてるかも」と考えては如何でしょうか?不気味と谷なんとなく避けたくありませんか?
言葉を作られた教授の意図とは大きくかけ離れていきそうですが、所詮言葉とはそういうものではないでしょうか。と勝手に思っております。
とはいえ、もう少し本来の用語について補足しておきます。
教授は、人が人に近いロボットに感じる親和感の低さは、自己防衛本能の重要な一部であるので、人の形に拘らないデザインのほうが良いと提唱されていたようです。
しかし、当時(1970年)と現在の技術の違いは大きく、まさに不気味の谷を越えたと言われています。そうです、人と見た目が変わらない人間の知能を超えたアンドロイドやサイボーグが街中を歩く姿がもうすぐ訪れそうなのです。
まぁ、ある意味不気味かもしれませんが。正に、この不気味の谷に関する哲学的論考には、「人間にとって最も不気味なものは人と区別がつかないロボットであり、親和感の評価もいきつくと、超人的存在による人の疎外であるから」と指摘されています。
やはり、人間は面倒くさいですね。面倒くさいから、様々な解決案が生まれ、それが仕事になり経済が動き、人々が生活できるのですが、その間山あり、谷ありです。
そういえば、「頂きはどこにある?」という、かなり高評価の人を元気にする本があります。谷底に落ちた時の対応のヒントが書かれています。
不気味の谷に落ちたら、頂はどこにある?を読まれたらいいかもしれません。
何れにしろ、解決するのは自分次第なのですけれど。