第42回
「和」
日本は「和」の国といわれてきました。もともとは、「環」村、集落を組んで、皆で環になって暮らし、和むという意味も合わさって、字体として「和」になり、「和」が増えて大きくなって「大和」(何故ヤマトというかは、いつか時間のある時にでも。)になったという説に出会いました。
妙に納得したのですが、それにしても日本人は、何故、こんなにも『和』を重んじる国なのでしょうか。そもそも、聖徳太子の17の憲法の始まりに「和を持って、尊しと、為す」という極めつけの押さえがあります。なんといっても、皆で話し合い、納得しあう事が全ての基準であるという事になるわけです。
その昔は、見えない敵に怯えることも多く、絶対神の居ない、島国の小国の日本を守るためには、皆がそれぞれの力(権限)を持ち、一緒に行動するという考えも必要であったのだと解釈しました。
現代はどうなのでしょうか。
政治の世界では、論争や、確執、失脚をなによりも嫌う、地位と権力のある方々の『和』の基で、何が大切か、何が根源か、明確にならないまま、いきなり?定まる規制があるかと思うと、利権付の時代遅れの法律に縛られて、苦労されている方が多いのも周知の事実では無いでしょうか。
もちろん、むやみやたらな争いは避けるべきですが、何を持って本物の「和」とするかが大切だと思うのです。
ライブドア事件以降、一挙に、斬新なアイディアと気合で、古い慣習に切り込んできたベンチャー企業が、次々と罪を背負って排除され、いつのまにか若手ベンチャー企業への賛美が消失。
新卒の大学生は、安定志向になり、これまで、夢溢れていたフリーターも就職活動を開始。一人起業家も、定職の道を求めるようになりました。この寒々とした、社会に流れる不安感は、大御所の方々の「和」を乱した事の反動なのでしょうか。
今から3年ほど前、現「株式会社ユースコミュニケーションズ」の高田社長に出会いました。「僕は、内定を頂いたのですが、やはり、起業しようと思います。きちんとした情報がとれずに就職先を決めざるを得ない学生の為に、正しい情報を、正確に、平等に伝える事がしたいのです」という、涼しげな眼の中に意志の強さを秘めた、旭川を活性化させる事を使命としているという若者でした。
彼は、言葉通り内定を辞退し、自らの力だけで起業しました。今も、弱音を吐かず、黙々と責任を持って、日々の業務に励んでいます。吉井も、「高田君は、逃げない男だ。なによりも、それが大事だ」と信頼しています。
今から3年前、起業家がもてはやされていた頃から、多くのメンバーが修行にきては、時代の流れに沿って、旅立っていきました。起業家魂の彼は、黙々と経営者の孤独や逆風に耐え、どんな時も、明るい笑顔で自分の思いを形にしています。
起業なんて、かっこいいものでも、楽なものでもありません。
成功は、諦めない事の結果です。それまでは、どんな有名な方でも、大変なのです。でも、自分のやりたい事が、自分次第で出来る自由を持っている事は事実です。
これからも、その自由と孤独を親友にして、「平等に伝える」という理念の基、社会人として巣立つ方を支えるために頑張って頂きたいと思っています。
真の「和」とは、話し合うという行為の前に、平等に情報を与えられ、それぞれの人権を尊重されてこその「和」だと思っています。彼の「和」の心が広く世間に伝わる事を願っております。