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コラム

第44回

「インキュベーションマザーということ」

経営者を応援する仕事をしてみたいという想いから、未知なるサービスを追及して、早くも12年が過ぎました。

いま思えば、無謀な挑戦であったと思いますが、12年前は、インベーダーと誤解される事もあった「インキュベーション」をテーマに事業を立ち上げた吉井始め、多くのお世話好きなメンバーにめぐり合った事で、あらゆる事業の立ち上げや、成長に関与させて頂く事ができました。本当に、あっという間の出来事でした。

ただ、冷静になって考えると、この「インキュベーションマザー」という名称は、とても高尚なネーミングで、今になって、「今更」ですが、大変気恥ずかしい思いをしています。

インキュベーションというビジネスはともかく、(それでも、深く追求すると息苦しくなるビジネスですが、)マザーという言葉には、絶対的な信頼と、海よりも深く大きな愛情と、天のごとく高い人格を持ち合わせた、あの偉大なマザーテレサのような方にこそふさわしい名であったのに、臆病で、唯我独尊で、高慢な私が、ショルダーフレーズにのせた事は、本当に反省に値する行動であったと思います。

しかし、あえて言い訳を聞いていただけるのであれば、そういう人になりたいという思いから、自らを戒める意味を含めてもいるのです。

現実は、どんなに、経営者の苦悩を理解しても、私自身修行の足らぬ身であるので、あからさまに、辛らつな態度を取られたり、失敬な言葉を発する方へのご協力はどうしても、疎かになり、あるいは、あえて忘却してしまい、あるいは、秘かに、滅亡を願ったりすることも無かったとは言えません。

反対に、褒めてくださる方には、頼まれもしないのに、精一杯のおせっかいを焼いてきたというのが、実情です。

マザーを語れる人格になるということは、本当に難しい事だと思います。無理に近いかもしれません、もちろん、努力はいたします。可能かどうかは、別にしても。

これまでご紹介し、賞賛してきた経営者の方々も、皆様同じように、自身の人格形成に大変な努力をされていらっしゃいました。何故それが解るかというと、反省されているからです。

自分の発した言語、態度に反省が無くなれば、傲慢になるだけではないでしょうか。傲慢な経営は、崩壊への一歩を示していると私は思います。

誰でも、素晴しい人と思われたい、尊敬されたい、慕われたい、存在価値こそ喜びです。しかし、経営は、いい事ばかり続きません。周囲に激を飛ばさなければならない時もあります。

常に全方位に波風立てない温かい経営等できるはずがありません。それでも、ご紹介してきた方々は、一流の人格の根を持って、自身を切磋琢磨していらっしゃるように感じました。なので、いつまでも、印象に残ったのだと思います。

些細なエピソードを語る事で、人生を充実して過ごす為の、気付きになればと思ってマザーズノートを書いてまいりました。

お時間がある時に、改めて見直して頂けると幸いです。

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