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コラム

第81回

「天の教え」

キリスト教の7つの大罪は、邪淫、貧食、貧欲、怠惰、憤怒、高慢、羨望(嫉妬)。

羨望と嫉妬とは同じ括りに入るらしい。ただし、罪深いのは羨望の方で、持ってないものをただ羨むだけで努力もしないが、嫉妬とは、自分の持っているものに害が及びそうな時に出る感情であるらしいので、多少は仕方がないと思われているようだ。

仏教でも、生き物を殺さない。物を盗まない。嘘をつかない。不倫はしない。酒は飲まない。という5つの戒めがある。

他の宗教でも、惜しい、欲しい、にくい、かわい、ねたみ、そねみ、欲、高慢は、初めは小さな思いでも、このくらいの事と放置すれば、いずれ大きな罪をつくるという教えも聞いたことがある。宗派は違えども、神の教えは、人間の生き方に対しては、ものすごく厳しい。

厳しくされる意味はわかるが、現代で普通に生きていて、これらのすべてを排除することなど、絶対に無理である。

すべての人類が、野菜と果物しか食べないということが可能だろうか。どんな嘘もつかずに、生きている人がいるだろうか。嫉妬や羨望の感情を覚えたことが無いといえる人が、人類の歴史上始まってからいるだろうか。

人を一度も見下した事の無い人がいるだろうか。極悪非道な罪を犯さなくても、天の戒めには、かなりの罪を犯しているのが普通の人間ではないだろうか。

しかし、人類が進歩してきた背景には、こういう感情があったからこそと思う。その罪とされる感情を好転あるいは抑制させる為に、経済というルールができ、疑問を解決する為に学問が生まれ、それぞれの学問が進歩してあらゆる物が開発され、ルールにのっとってどんどん便利な時代になってきたのだ。

つまり、人間の罪というか、本音・本能があってこそ、人類は進歩したのでないかと思う。

しかし、まだまだ、未熟な感情を残して便利さを追求したあまりに、今回の有事のような2次的、3次的災害を引き起こし、日本は、大きな危機に瀕している。もちろん、幾度もの難関を乗り越えた民衆の力で、これから再興していくと信じてはいるが。

いずれにしろ、これからも生きている限り、なにが起きるかわからない。生と死は隣り合わせ。発展と衰退も隣り合わせ。もともと非力な人間が、天に立ち向かえるはずもないのだ。対抗できることがあるとしたら、自分の毎日を悔いなく生きることしかない。

出来れば、天の教えに少しでも沿うように、良き感情を失わず「ああ、今日も生きていて良かった」と思う毎日を過ごすことである。ちなみに、よき感情とは、嬉しい、楽しい、幸せ、ありがとう、愛している、大好き、等等言っても言われても気分が良い言葉を、さりげなく口にできるという気持ちである。本音でいえる気持ち。

人間は、神様に罰を与えられてしまうような、愚かな感情を沢山持つ弱い動物であるが、その代わりに生きる為の知恵と、その罪を軽減する素晴らしい感情も持っている。こんな時だからこそ、本音で感謝しあって、人の役に立つ仕事をしていけたらと思う。

そして、さらに充実した日々を送るために必要なのは仲間だ。弱さをさらけ出しても互いに許しあえる、同じ目的を持った仲間がいたら、どんな時も楽しい時間を過ごせる。

インターウォーズと共同で仕事をしているスーパーエディション株式会社のメンバーは、まさに信頼しあった仲間と充実した仕事をしている人たちだと思う。社長の竹田氏は、いつ出会っても感じがいい方である。

苦労がないわけがないのに、ご機嫌が悪いところを見たことがない。リーダーがそういう人物だからか、メンバーも、明るく愉快な性格の人たちなので、スーエディさんの部屋からは、いつも楽しげな声が聞こえてくる。

そして、インターウォーズの掃除日に、一番きつい仕事を率先して引き受けてくれているのも、スーエディさん達なのだ。

こんな、気持ちの良い人達が創り上げるホームページは、人心を打つという評判である。人が集うという事を、もっとも大事に考えている会社だからだ。やはり、仕事には、生き方が、心意気が映し出されるのである。

こういう時だからこそ、スーエディさんの人間味あふれるコンサルティングが役に立つと思うので、一社でも多くの企業の手助けをして頂けたらと願っている。

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