第99回
「私の龍馬さん」
「リョーマ」と聞いただけで、桂浜の巌頭に立つ坂本龍馬が目に浮かび、アドレナリンの分泌量が増えてくる気はしないだろうか。
私は、背筋を伸ばして遠くをみたくなる衝動にかられる。全霊をあげて龍馬さんの心をつづった司馬遼太郎氏のおかげだろうか、はたまた、歴代の青春スターが演じる龍馬ドラマの影響か、志半ばで夭折した天衣無縫な若者に興味がない方は少ないと思う。
でも、私には、私の龍馬さんが富士山の側にいる。正確には、龍馬さんは、こういう方だったのではないかと思っている方がいる。
幼少から、富士の裾野で伸び伸びと育ち、20歳そこそこで起業し、40代で政財界の著名人と交友関係を作り上げ、県や国の土地開発に深く関わっていた「時の人」である。中でも不可能とされていた山奥に、日本を代表する優良企業を誘致した事は、日本経済にとっても貢献度は高い。胆力と洞察力と包容力に溢れた凄い男なのである。
さらに、恐れ入るのは、バブル崩壊時の銀行の手のひら返した貸し剥がしにも、ぎりぎりまで耐え抜き、数百億円の負債を処理して自身は本当に無一文になって責任を果たした。しかし、財産等持たなくても、風格も人脈も消えない、常人の枠を越えた本物の人なのである。
弊社も、創業期は試行錯誤の日々で、メンバー同士で心折れそうになることもあったのだが、其の時の私たちの気持ちを汲みとったがごとく、なんの前触れも無く、FAXが届いた。そこには、短文にもかかわらず、心に響く励ましの言葉が書かれていた。
この方は、一生忘れられない言霊を放つ。
多分、政財界の大物との交流には、こういう言葉を放てる度量や粋さが必要なのだと思う。ましてや、気合と根性に裏打ちされているから、一言で相手の心を掴む、龍馬さんとはそういう人だったのではないかと思うのだ。
容姿も良く似ていらして、上背もあり、筋肉質で野生的な雰囲気と知的な行動も似合う華麗さを持ち合わせている。立ち食い蕎麦を食べても、高級レストランでも、この方となら堂々と美味しく食べられる。こんな男いいよね。めったにいないね。でも、身近にいたら大変だろうな。
多分、通常の生活なんて送れない。龍馬のまわりの女性のごとく、悲劇を味わう。私の龍馬さんも、隆盛時は、とても静かな生活はされていなかったと思うが、リタイアされた今は、晴耕雨読の日々をのんびりと過ごされているようだ。
方丈記の鴨長明のように、余計なものを一切なくして、富士山に見守られ、心の豊かさで過ごされている。やっぱり、格好いいわ。