第65回
「平成維新の予兆」
ゴールデンウィークに、明治維新の原動力になった長州藩の中心地、山口県の萩に出かけた。
幕末の時代に、人口5万にも満たない小さな田舎町で、倒幕を果たした高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、村田蔵六をはじめ、何故同じ時期に同じ地域であれだけの傑物が出現したのか?その背景を知りたく訪ねた。
萩には、いまだに当時の歴史を感じる塀が街並に残っており、萩焼きの店が何処にいっても目に入り、街の人々は誇りを持って凛として暮らしている独特の風土を感じた。時代を変革した発祥の地としての文化と誇りを持って生活している人々の姿は、古き「日本人」を観る思いがした。
当時、薩摩藩の西郷隆盛、桂小五郎、坂本竜馬が集い、薩長同盟を結ぶ場となった旅館が、まだ現存しているとのことで訪ねた。
その旅館の女将に、「何故この地に当時、こんな傑物が生まれ育ったのか?」訊ねると、「それは、毛利家の歴史背景と二人の人物がいたから」と教えてくれた。
その一人は、1857年、私塾松下村塾の塾長として、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文、山県有朋ら約80人の門下生に、人間の生き様、思想、行動といった大志を打ち込み、勤皇の教育・啓蒙によって倒幕の大きな息吹を創った吉田松陰先生だと、誇らしく語った。
今でも毎朝、地元の明倫小学校では、吉田松陰の訓えを唱和しているとのことであった。その後、やがて100歳を迎える京都大学の創立に繋がったのだという。
そして、もう一人は、「白石庄一郎という赤間神宮の宮司」。この人は、高杉晋作に屋敷や活動費を支援し、これによって奇兵隊がうまれ、この活動が長州の大きな起爆となり原動力となって時代を動かした影の立役者とのこと・・今の時代でいう、エンジェルもしくは投資家にあたる存在だ。高杉晋作は、奇兵隊の存在は白石さんがいなければありえなかったとのことをよく語っていたという。
「理念を持った人」と「志ある人を応援したい人」との出逢いがメッセージを持ち、大志を持った人が集い、国を変革した。そして、130年の時が流れ、変革の世紀を迎え、歴史が繰り返される予兆を感じる。