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コラム

第92回

「南越谷のポラスになった中内さん」

例年、夏の風物詩として南越谷で行われる阿波踊りに出かける。今日では、日本三大阿波踊りの一つとして、56万人の人出で賑わっている。

このイベントは、ポラスグループの創業者の中内俊三さんが、メセナ活動として、地元の皆さんに「ふるさと意識」を持っていただこうと始めたもので、今年で、21回目の祭りとなる。

中内さんが、6月10日亡くなられた。中内さんとは、強風の日に4人乗りのセスナ機に乗り合わせて以来、18年にわたりお付き合いさせていただいた。

中内さんは、バナナの引き売りから事業を起こし、自分の家を持つ際にひどい不動産屋の多いことに着目し、「自分がユーザーとして不動産屋を興し、人の役に立ちたい」と、志を抱いてスタートしたアントレプレナーである。

身辺を飾らず、いつもプレスのないズボンを穿き、顔面笑顔で、大きな声で、会話の語尾に「○○ね!」を付け、「ウィル」を語る人であった。中内さんが一代で築かれた企業グループは、現在20社1300億の規模となっている。

当社を起業した際、ポラスグループの新規事業における人材採用のお手伝いを始め、様々な仕事をさせていただき、多くのことを学んだ。中内さんの思考は、常に地域に根ざし、地域の皆さんにとって、良かれと思うことに集中して、地域密着経営を完成させた。 

「その話、いつまでにやろうかね!お客さん喜ぶよね」「お客さんに申し訳ないことは、しちゃいかんね!上場すると、株式市場に目を向けていかないといかんしね!」と、よく語っておられた。
常にお客様第一に考え、会話の中にいつも、「お客さん」と「ね」(そうだろう・そう思うだろう・と、相手のコンセンサスを求め)自分の頑固なまでのこだわりを持った経営理念を貫いた、土の香のする豪放磊落で且つ繊細な人であった。

阿波踊り発祥の地徳島では、先祖の供養の為に、阿波踊りをお盆の時期に行うとのことだが、地域のポラス(北極星)となった中内さんを供養する今年の阿波踊りは、これまでにない語り継がれる南越谷の賑わいの夏となった。

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