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コラム

第148回

「神々の国」

古事記(現代語訳)によるところ、日本の歴史は、高天の原に現れた天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)に始まるが、この方はすぐにお隠れになり、その後も色々な神様が現れては、なんか今一つうまくいかずで、幾神かの出入り後、伊邪那岐、伊邪那美の二柱の神が、不完全な状態の国を整えるよう他の神々に託されたことから、矛を垂らしてできた塩の島を拠点にし、国土や、海の神、山の神等の神々を産み出した。

しかし、火の神の時のお産が原因で伊邪那美命が亡くなられ黄泉の国へ。未練の伊邪那岐命が連れ戻しに行かれたおり、実は変わり果てた伊邪那美を知ってしまい。怖い話によく出てくる「見ぃたなぁ~」と始まる感の、あの流れにあって逃げまくる。

でも、やはり最終的に追いついた伊邪那美と大きな石を盾にした伊邪那岐で離婚の協議がなされた結果、何故か民がとばっちりを受けることになる。

そう。神の時代から、弱き者へのとばっちりはあるのだ。

そんなことで、伊邪那岐命が、いやぁな気分を清めるために服や体を洗い流しているうちに、左目から天照大神、右目から月読命、鼻から須佐之男命という尊い神含め十柱の神々がお生れになった。色々あったけど、最終的にいい神が生まれたと喜ばれた伊邪那岐は、大満足で高天原の支配権を天照大神へ譲られる。

そして、その後、といってもかなり後、天照大神の子孫としていよいよ、神武天皇が誕生される。神武天皇は、全国を歩いて稲作を伝承され、民の食が安定するように力を尽くされた。

なので、現在も天皇家は稲を育て、衣の源となるものを大切に扱われ、民の為に長く続いた仕来りを継承されて祈り続けてくださっているのだそうだ。

日本は八百万(やおよろず)の神がいらっしゃる、それは、自然現象も神ととらえるからであるが、昨今といっても千年くらい前からは大抵の神も仏も基は地上人だ。卓越した能力を持ち、優れた功績をあげた方、あるいは、人間離れした修行をされた方々が神様や仏様として、天に昇られた後に地上の人々から崇拝され奉られているのだ。

しかし、現代は、地上の間も神と呼ばれる方もいらっしゃる。ネットの普及も世界中の神業を瞬時に知らしめてくれるので、様々な神様が増える一方である。

個人的にも、多くの実在する神を感じる方々とお会いしてきたが、中でも特に、全く持って羨ましい才能をお持ちの経営者がいらっしゃる。

ドレッシングと言えば、殆どの方がご存じのメーカーの創業オーナーだ。一軒のレストランからの経営手腕はもとより、なんと、音楽、絵画、陶芸、ゴルフ、書道、なんでもござれの、どれもプロ並みの多才である。

勿論、料理も社員の方々が社長は天才だと確信されている。なんでも、なにをやっても、ご本人は趣味とおっしゃるが、並はずれていらっしゃる。

しかも、確か数年前に新たに始められた陶芸は、ここ数年??まじか!!と驚くくらいは序の口で、陶芸をアートと感じた作品群を拝見した時には、つい拝んでしまった。

その作品群に表現された、真剣さと大胆さ、繊細な配慮と暖かな愛を感じて、〔強くなければ生きていけない、優しくなければ・・・〕というダンディな探偵の名セリフが浮かんでしまった程である。

創業30周年、昇格上場記念を兼ねて出版をされたご本の結びに、仕事も遊びも一生懸命というくだりがある。

「仕事の為にプライベートを犠牲にしたり、また、その逆も寂しいではないか。忙しくてもおしゃれする余裕は捨てずに、稼いだお金はしっかり使う。好きな事の為に、好きな人の為に」と書かれている。

好きな人って、誰かわかんないけど。物凄く羨ましいけど。もう、格好良すぎるのである。やっぱり神じゃなかろうか。

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