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コラム

第102回

「ゴールとルール」

「地上最大の祭典」といわれるFIFAサッカーワールドカップ。6月中旬ドイツフランクフルトに、観戦に出かけた。4年に一度、世界の人々が、一個のサッカーボールのゴールで興奮する。

現地ドイツでは、試合会場だけでなく、街の至るところに、大スクリーンが設けられ、大画面の前に、各国から熱狂的なサポーターたちが集い、ビールを飲みながら、ボールの行方に、街中が注目しているような異様な熱気に包まれていた。

野外で、ビールを飲みながら、共に行ったメンバー達と「一体何故、ここまでワールドカップは、オリンピックを凌ぐまでに、熱狂するのか?」と話していると、隣に居合わせたイギリス人とドイツ人の年配のグループが、仲間に加わり、サッカーの歴史を語ってくれた。

古代ヨーロッパでは、丸いものは「太陽の象徴」であり、太陽を支配するものは、地球上の支配者になるといわれ、敵の部族王の頭蓋骨(丸い物)を奪い合い、それをゴールに運んだものが王になったという。

「太陽を奪い合う球戯が、世界の支配を決める」歴史が、今から5千年前に生まれ、ボールを奪い合う球戯は、ラグビーやホッケーをはじめ、多くのものが生まれた。

しかし、サッカーだけは、脚のみを使うルールを徹底したことによって、身長をはじめ身体的優勢がなくなり、世界中すべての民族が、平等な条件で闘えることになった。そして、経済的に、恵まれてない国でもどんな場所でも、一個のボールさえあればサッカーは出来る。 

ワールドカップが、「地上最大の祭典」いわれるまでに育ったのは、こういったDNAの歴史や世界共通のデファクトスタンダードルールを解かりやすく徹底したからと思えた。

4年前、日韓ワールドカップの際、試合の行われていない神宮前の国立競技場で、5万人の観客達によって会場にウェーブが興り、海外からきたサポーターと日本サポーターたちが一体となって盛り上がっていたシーンに驚いたことを、今でも鮮明に覚えている。

今日では、当たり前のように、衛星放送テクノロジーの向上によって、世界中のあらゆるところで、同時に、一個のボールの行方に「ため息、叫び、怒号」が、生まれ、その場の空気を感じる世界が訪れた。

世界中を熱狂させるワールドカップの姿は、グローバル情報化社会の中で、共通の「ゴール」と「ルール」を定めることが、人々を熱くする企業のあり方を示唆している。

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