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コラム

第154回

「会津藩士の心」

GWに、下北半島を訪ねた。幕末の戊辰戦争後、朝敵の汚名を着せられ廃藩となった会津藩士が、藩の再興を夢みた斗南藩のあった場所だ。

私は、現地の空気を吸い込み、歴史を感じながら未来を想うことが好きだ。特に幕末期、激動の中で志を持った一人ひとりの人々がその地で生き、地域を変えた姿を思索してゆくと、昨日と今日の繋がりが見えて来る。

5月のむつ市の地は、桜はまだ蕾で、肌寒かった。
明治2年、版籍奉還によって、当時3万石といわれ痩せた領地に、旧藩士家族1万7千人余りが移住した。当時この地は、火山灰土の風雪厳しい不毛の土地であった。斗南藩の人達は、農業施策を展開するが、慣れない農業と寒冷な自然を前に、飢えと寒さで病死者が続出、蒸発するものもあったと聞く。しかし、会津人は挫けず、原野を開墾し、教育・人材育成に努めた多くの人材が育っている。

20世紀の初めに国際社会に向けて、世界に通じた日本人、内村鑑三、新渡戸稲造、陸軍大将になった柴五郎や、教育界で明治の基礎を創り、多くの人を育てた山川健次郎、偉人の野口英世と始めとする人達は、何故か、旧幕臣であったり、東北の雪深い地の出身が多い。

日本は今、大きな岐路に立っている。明治維新、そして敗戦を経験し、その中心の政治や経済から排除され、立身出世のキャリアに希望が持てない状況下でハンディのあった人々が、志を持って挑戦し、世界の奇跡と言われる日本を築いた。

昨今の日本人は、幕末を生きた人達の様な、身分によって制約された生き方はなくなり、自分探しといった言葉が生まれ、多様な生きる選択肢が可能になった。しかし反面、志や意志の無い人々にとっては、むしろ解放された自由な生き方に苦悩している。

主体的に自己の責任によって、自らの人生を創り出してゆかなければ、ますますこれからの時代生き抜いていくことは、困難になってきている。

厳寒の地で再興に夢を託した斗南藩の史跡に触れ、自分の出生や運命に嘆くこともなく、逃げずに、不条理に正面から向き合った人たちの気迫ある生き様が、今の、私達に求められていると思った。

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