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コラム

第163回

「マレーシア」

過日、社のメンバーと様々な文化が入り混る国「マレーシア」に、行ってきました。

黒川紀章が設計した完成度の高い眠らない空港や、整備されたハイウェイ、ガラス張りの高層ビルとブランド店が集うショッピングセンター、そして、屋台や生活感あふれる低層の、年を重ねた住宅のコントラストの中で、様々な民族が混在する街の人々の表情は、明るい笑顔と活気に溢れていました。

現地を案内してくれた方から、「今のクアラルンプールのマンションは100㎡で800万位、シンガポールの5分の1位でアジアの中では2番目に安い。一般の人の平均月給は、4万前後、管理職は8万、幹部クラスで25万位の月収。現在のGDPは18兆円で、金利2.4%」との話を聞きました。そして、昨年11月にオープンしたユニクロは、日本より価格が高いにも関わらず賑わっていました。

マレーシアは、15世紀のマラッカ王国時代から、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本といった国々に占領され、その後国家として独立し、翻弄された歴史を持つ国です。

こういった背景から3つの民族の人や、宗教、建築、文化、料理が入り混じり、多民族の間に生まれ育ったプラナカンの人々が、独自のプラナカン文化を創生し、今日に至っています。プラナカンの人々の家庭では、よくオープンハウスという気取らないパーティが開かれ、4ヵ国語を自在に話すコミュニティによって、融合したマレーシア独自の街が育ってきました。

また、世界遺産のマラッカを訪ねた際、タン・チェン・ロック通りという名になった「タン・チェン・ロック」という方の住まいを見学した際に、時をかけて、それぞれの民族、宗教、文化を尊重し、融合した形で共存して生きる精神や知恵を結び、マラッカの街を創り上げた「タン・チェン・ロックという社会起業家」の存在を知りました。

はじめ、何故この街が世界遺産なのか?と思っていましたが、この地の歴史とタン・チェン・ロックという起業家の成した街の姿は、世界に誇れる街だと思いました。

カオスの街クアラルンプールの夜、エジプトのムバラク大統領が辞任したニュースを聞きました。「革命」を先導したとされるフェイスブックは、この街で出逢った人達の大半が活用しているとのことでした。

マレーシアは、インドネシアの6分の1しか面積がない多民族国家です。前マハティール首相時代に、(大前研一氏が18年アドバイザーを務めている。)工業化、情報化の基盤ができ、マレーシアの歴史とタン・チェン・ロックを始めとした起業家達が築いた融合文化や共存精神や知恵によって、貧困が撲滅され、ASEAN諸国より先んじた展開をしています。

現在のマレーシアの街の姿は、「グローバル社会の未来の街」を、表現しているように見えました。

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