第188回
「商業の孵化器」
「Commercial incubator」商業施設に対する私のイメージだ。
理由は、ビジネスインキュベーションの語源にある。始まりは、1950年代の米国で、起業家にアドバイスをしながらスペース貸しをしていた施設の中に養鶏場もあったことが切っ掛けで、ビジネスの卵を孵化する施設business incubatorとして紹介されたことから広まった。
つまり、施設そのものが、賃料収入等、収益を目的としていなければ成り立たないのである。となれば、テナントからの賃料収入を維持、向上するために、新業態や新規店舗を支援する商業施設の運営事業は、まさにインキュベーションであるし、施設は、Commercial incubatorという事だ。
商業施設というと、なんとなく、デベロッパーが、昔ながらの情緒あふれる風景をぶっ潰したり、地元密着の小規模店舗を追い出したりした後に、どんどん建築をしまくり、歩道をビル風で吹き荒らしたり、道路を渋滞させたりしながらも、高い賃料を払うお店が沢山入ってるビルとか、モールの事だと思い浮かべる方も多いと思うのだが。
半面、より綺麗で安全で、あらゆる生活に関する情報と物品や食を快適な空間で提供してくれるのも事実だ。そして、なにより、運営する人たちは、日々テナントの成長支援の為に奔走している。その上、数知れない諸問題に対応し、テナントや施設に従事する方々を守るために努力されている。
この度の緊急事態においても、大手商業施設の対応は早かった。テナントにとって一番の賃料に対する不安を、まずは取り払ったのである。こういうことは、財力や資金確保ができるところでないと、大家さんの気持ちだけではどうにもならないものだ。
勿論、これだけでは不安は解消しない、これから先の事を考えただけでも、社員の事は勿論、その他のしかかる様々な支払いに、どの経営者も頭と心を痛めていることだと思う。
でも、皆一緒なのである、どちらにしても、これまでのやり方では出来なくなっているのだ。こんなに文明が進んでいるのに、人間の体の脆さは簡単に守れない事が解った以上、また新たな敵が現れるという事を前提に、それでも人としての楽しみである、誰かと一緒に、遊んだり、買い物や食事や運動や勉強ができる方法を、それぞれが考えていくしかないのである。
有事の時ほど、その人間の真価が問われるというが、こんな時だからと、ともかく、できることをやろうとしている人もいるし、どうせ何もできないと捨て鉢な考えで悲劇の元になる人もいる。他人に被害を与えない、迷惑をかけないという事を徹底すれば、新たなビジネスの機会は沢山あるのにである。
新しい事には規制が壁になる事もあるかもしれないが、時代にあった規則でなければ意味が無い。それでも、法や規則の改正は政治家の仕事だけれど、提案することはできるのである。今や、簡単に政治に声が届く時代でもあるのだ。
そもそも、経済って、経国済民、経世済民という事で、上手に国を治めて、民を救うことにあるし、経済活動は、人間の生活に必要な消費活動という事であるのだから、今、そしてこれからの生活に必要な、新たなやり方を国だろうが、民だろうが考えて動くしかない。
なによりも、民が働いて稼がないと、国も民を救えなくなるのである。支えるのは民なのだよ。時代が変わろうが、仕組みが変わろうが、この構造は変わらないのだ。
そして、商業とは、生産者と生活者の間に関わる、あらゆる業のことであるから、民が働く構造は変わらないまでも、新たな仕組みの業態開発が、今こそできるはずだ。案の定、ちらほらと、創業経営者に共通する火事場の馬鹿力的企画が聞こえてくるようになった。とりあえず、やってみよう!という気概を感じる。
昔からだが、創業オーナーの発案は、冷静な役員陣の反対や現場に不満がでる。でもオーナーだから強行突破?するのである。これも、何年見てても変わらない。
そう、こんな時であるからこそ、後ろ向いても解決策等ない。前にのめって動くしかないのだ。後ろ見て倒れても一歩も進まないが、前に倒れたら、その分先に進んでいる。こういう気概のある方たちが沢山いるのだから、(まだ、聞こえてくるのはちらほらだけど。多分もっといるはずだ。)
なので、面白いお店が出来たねぇ。とか、あって良かった!とか、新たな楽しみや発見を満たしてくれて、いつまた、こんな事が起きても動じない業態が集まった施設が近いうちにできると信じている。なにしろ、商業施設というインキュベーターがあるのだから。
そう、なにがあっても、明るい未来を信じることだ、その方がお得な人生なのだよ。