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コラム

第237回

「ピエトロを創ったアートな村田邦彦さん」

4月9日、全国ブランドのピエトロを創業された、私が敬愛してやまない村田さんが75歳で旅立ちました。

村田さんとの初めての出逢いは、20年程前、博多で商社の友人からの紹介でした。シャイで口数が少なく、自らの世界観と色気を持ち、交わした会話に余韻が残りました。
その後、多趣味で年下の私と波長が合い、公私共に長きに渡り親しくさせていただきました。

村田さんは、仕事も遊びも一生懸命をモットーに、本物を追い求め、挑み続けた芸術家タイプの経営者でした。

39歳で福岡の天神で小さな「洋麺屋ピエトロ」を開き、ひたむきに「おいしい」を追求し、一部上場の食品会社を育て上げた起業家です。趣味の域を超えたゴルフ、音楽、書道、絵画、陶芸と多才で、ダンディで格好よく、社交的ではありませんが、多くの人に慕われ、人柄が企業像に投影されることを学びました。

以前、日本マクドナルドの創始者の藤田田さんに、村田さんを紹介したところ意気投合し、時を忘れ話し込んだことがあります。辛口の藤田さんが、村田さんの商品開発力に感動し賞賛された時の、青年のような笑みを浮かべていた村田さんの顔が忘れられません。

村田さんは、人とつきあうととことん、深く、長く関わっていくので、自分ら出会いを求めることをしない人でした。私は、もっとPIETOROブランドを拡げた方が良いと思い、様々なアドバイスや、私の信頼する多くの人を紹介しました。 社交が苦手な村田さんに会った人達が、いつの間にか、村田ワールドに魅了され、年輩の方から若い人たちまで村田ファンになっていく姿に、多くの事を学びました。

MURATA KUNIHIKOが、生涯をかけ懸命に創り上げた、最高傑作の「PIETORO」を世界に拡げる物語りの挑戦を、これからも支えて行きたいと思います。

人との出逢いには、必ず別れがあります。
村田さんと出逢い、心の宝物をいっぱい頂きました。ありがとうございました。合掌。

功徳無量(村田さんの好きだった言葉)
「今の自分の幸福は決して自分一人の力ではなく、ご先祖様が積んだ徳によって利益がもたらされている、ご先祖に感謝を」

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